田舎にいると、「地縁」というものが強く存在します。
同じ集落、地区に暮らすもの同士、互いに存在を認識しあえるような距離感ですね。
こういうのがとことん肌に合わない人も中にはいるでしょう。
考える梅田
地縁に限らずに言えば、コミュニティと呼ばれるものは都会・田舎問わず存在しますし、ほとんどの人が何かしらのコミュニティに所属しているものです。
関わり方の濃さ薄さはありますが。
今回は、コミュニティというものについて、考えてみようと思います。
そもそもコミュニティとは?
コミュニティとは英語で共同体のことです。
共同体の意味は辞書によって様々で、また社会学や経済学で用いられる時にも少しずつ違うニュアンスを持っています。
が、おおよそ共通しているのは、
- 家族や村落など、地縁・血縁によって自然的に発生した関係
- 利害・目的を同一にした人々の集合体
とまあこんなところです。
都会に行けば地縁というものは感じにくいものですが、同じ目的で結成された集団という意味では、職場の草野球チームや学校の部活といったものもコミュニティと言えますよね。
団結か、しがらみか。
これはもしかするとコミュニティを考える上で永遠のテーマになってくるのかも。
良く言えば団結とか結束です。
これのおかげで地域が維持されているということも言えますね。
でも悪く言えばしがらみですよね。
「あの人とは昔トラブルがあったからその話は持って行かないほうがいい」
「あの人も立場があるから立ててあげないと…」
こんな感じで手枷足枷がガッチリはまって動けない感じ。
これのおかげで地域が衰退してるとも言えますね。
なんという皮肉…。
「絆」←これなんて読む?
訓読みで”きずな”。
もうちろん読めますよね?
実は、もうひとつ訓読みがあるんです。
それは”ほだし”。
「情に絆(ほだ)される」なんていう表現があります。
聞き慣れない言葉かもしれません。
意味は「縛り付けられる」みたいな感じですね。
「絆」をどう読むか、これはまさにコミュニティの「団結」or「しがらみ」問題そのものです。
なんという皮肉!
自分で考えるしかない。
団結か、しがらみか。
きずなか、ほだしか。
結局はそのコミュニティに所属する自分自身がどう捉えるかを選択するしかないんです。
団結を重んじて身を委ねるのもいいでしょう。
しがらみを嫌って抜けるのも大いにありだと思います。
そういう選択を常に実行していけば、消耗することもありません。
人はひとりでは生きていけない。
西日本豪雨の被災地では10日、気温は各地で30度を超え、関係機関による捜索や被災者を取り巻く状況は過酷さを増しています。写真は広島県呉市天応地区の様子ですが水が引くも多くの家屋が土砂に埋もれ依然と厳しい状況です(共同通信社ヘリから)<慎>https://t.co/FMaY7hXIjo #西日本豪雨 #広島県 pic.twitter.com/BjvY5v8Du8
— 共同通信写真部 (@kyodo_photo) 2018年7月10日
部屋から一歩も出ずに生活ができるほど便利な時代です。
ひとりぼっちでも生きていけるという錯覚に陥っている人も多いことでしょう。
でもそれは平穏無事でいられる間だけです。
この先ずっと平穏無事で生きていけるわけがないということを、僕たち日本人はいやというほど思い知らされています。
本当に苦しい時に繋がっているものを大事に育てて行くことも必要でしょうね。
今回の西日本豪雨で、またコミュニティの価値が見直されるんだろうなあと、考える今日この頃です。