現代を生きる日本人の感覚では、神社とお寺、神道と仏教を明確に区別することがほとんでしょう。
神道は神社を通じて日本古来の神様を信仰する「在来宗教」。
仏教はインドで生まれ、中国〜朝鮮半島を経て日本にもたらされた「外来宗教」。
こんな感じで区別しているでしょうか。
ですが、歴史をひもとけば、日本における神と仏の関係は現代人の感覚とは随分異なっており、現代の感覚の方が、歴史的にはるかに浅いものなんです!
寺社仏閣巡りを趣味にしている素敵な方々に、日本人の宗教観の根源の一端を、ご紹介しようと思います。
神と仏の出会い 〜仏は神だった?〜
538年。
誰もが学校の歴史の授業で覚えさせられる年号。仏教伝来ですね。
ただ、伝来した年については、『日本書紀』や『上宮聖徳法王帝説』などで記述が一致していません。ともかく6世紀半ばまでには伝わってたってことで。
仏教は朝鮮半島の百済という国からもたらされました。その時の様子が『日本書紀』に記されています。その中で仏教のことは「蕃神(あだしくにのかみ)」と記されています。
そうです、当時の人々の感覚では仏は神様のひとつっていう認識だったんです!
もともと信仰していた数多くの神様の中に、新入りが加わったような感覚で仏を迎え入れたのです。
神様が増えたってだけで、神と仏の区別なんて、なかったんです。
日本初の出家者
日本人が仏を「神のひとつ」と認識した証拠は他にもあります。
『日本書紀』の中に、百済からもたらされた仏像を安置すべく仏殿を設け、仏に仕えるべく出家者を出したという記述があります。
その出家者、なんと女性だったんです!
日本で最初の出家者が、まさか尼さんだったとは。なぜでしょう。
これは、シャーマン、つまり巫女として仏に仕えようと考えられたためでしょう。
巫女が神の依り代となって言葉を伝える風習と同じように、仏の言葉を伝えるために女性が出家したのです。
このことからも、日本に来たばかりの仏が、神のひとつとして認識されたことが伺えます。
今回はここまで。
今でこそお寺と神社は明確に区別されています。建物の作り方も違うし、神主さんやお坊さんの着るものも違います。
ですが仏と神が出会った時代の日本人にとってはとりわけ区別するものでもなかったことが分かっていただけたかと思います!
ここから時代が下るにつれ、神と仏の距離感は少しづつ変化を見せていきます。それはまた別の記事で。